トヨタ産業技術記念館を訪ねる(2)
- 2023.10.20
- 場所紹介
ものづくりに触れる
企業の展示施設の紹介ですが、宣伝の意図はありません。皆様のご参考になれば幸いです。
ものづくりの歴史をたどる。
最近の自動車生産シーンは、経済ニュースなどで「景気動向」を伝える際、バックに流れていたりするのでイメージしやすいかと思います。
もちろん最初からそんなことはなく、特に黎明期と呼ばれる時期は、人間の手が介在した部分が多かったようです。
ブロック・クランクシャフト、コネクティングロッド…これらの部品の品質を向上させるため、トヨタは鋳鉄の技術を磨いたとあります。もちろん、素材の向上だけでなく、部品の精度の向上も図らないといけないのですが、こうやって「壊れないクルマ」を造っていったのだと思います。
前回のブログでもお見せしたこの展示ですが、
「鋳物の合格率を心配されるような哀れな状態では/
自動車の製造を中止した方が良く/
こんな鋳物位が出来なければ豊田の恥だと思い」
それは、精神論かもしれませんが、トヨタが自動車を生産することの難しさ、大変さ、そして意義を理解していたことが伺える文章だと思います。
1936年。戦争の5年前です。
手作りでクルマを造るという事
次のコーナーには、当時の工場を再現した展示がありました。
手作業でボディを形成し、木型に当てはめて組み立て、シャシーと合わせる。クルマは、世に出た当時は大変高価なものだったと思いますが、それは手作業に依存する部分が多かったこと、高度な技術が必要だったことも当然に要因だったと思います。
この組み立て方が、戦後、高度経済成長を迎える頃には大きく変わり、オートメーション化によって大量生産が行えるようになり、それは当然価格を下げることになります。
機械化された中で生まれたクルマ達
次のコーナーは、高度経済成長期を迎え、日本の基幹産業のひとつとなったクルマ達について触れられています
ここでは、クルマの構造を学べるような展示となっています。このクルマは初代クラウン。クラウンは、長らくフレーム構造を採用しており、この展示でもその構造が見て取れます。
わたしは見逃してしまいましたが、初代クラウンの生産に伴い、プレス機を導入した経緯がありますがそのプレス機はココに所蔵されているとのこと。次回は絶対見てきます。
1970年代のクルマ造り
1970年代は、クルマが一気に進化した時代ともいえると思います。実際は80年代に入ってから採用されたものも多いのですが、その技術の多くは70年代から開発されたものでした。
この一見アメ車のようなテイストのクルマは、今(記事を書いている2023年)から50年前の1973年に試作された、ESVと呼ばれるクルマです。(実験的安全車両)
衝突安全(正面から時速80キロ・側面から時速64キロ・追突は時速80キロ)を叶えるためのボディ構造(クラッシャブルボディ)・大型バンパーなど。
ステアリングも現在の主流となったラック&ピニオン式を採用(当時は、ボール&ナット式が多かった)。4輪独立サスペンション(ダブルウィッシュボーン)など、その後のトヨタ車に採用された技術を詰め込んだ車です。
レーザーエンジン
ココの展示物は、クルマの歴史を示すものであるので、少し前にトヨタが売りにしていた技術や機能なども紹介されています。
トヨタの新世代エンジンといえば(一部の年代の方にはお馴染みの)「レーザーエンジン」。
綴りは「LASRE」で、高性能・低燃費・軽量コンパクト・高い応答性を謳っています。
レーザーエンジンの範疇に入るのは、例えば4Aに代表されるA型エンジンなどですが、スタートはこの1Gエンジンでした。1Gエンジンは1980年に登場して、以後20年、トヨタの直列6気筒エンジンとして使われ続けていました。
「未体験ゾーン」
1981年は、トヨタにとってのイメージリーダーが誕生した年です。
そのイメージリーダーは、このエンジンを搭載していました。5M-GEU。
このカムカバーでこのクルマが何かお気づきの方も多いと思います。
特徴的なデジタルメーター。マイコン式オートエアコンのパネル、ドライブコンピューター。
今でも多くの人に愛される「あのクルマ」の構造部分です。
今回も長くなりました。次回に続きます。
場所などの紹介
下記にリンクを貼っておきます。(じっくり読みこんでからの訪問を強く推奨します)
下画像はスマホ画面をキャプチャ(埋め込みができなかった為、HPの雰囲気をお伝えします)
地図も貼っておきます。
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